



















万博の写真はポーランドです。
抽選が当たらなかったけど一日に二回ずつショパンのピアノ演奏会を催していました。でもキュリー夫人については言及していなかった。奥ゆかしいけどポーランドと言えばキュリー夫人だぞ?
「飛鳥・藤原の宮都」の世界遺産登録
❴倭<ヤマト>は 国の真秀<マホ>ろば たたなづく 青垣<アオカキ> 山籠<ヤマゴモ>れる 倭し
麗<ウルワ>し
倭建命<ヤマトタケルノミコト>
大和<ヤマト>は最高の場所
山の緑を掻き分けて引き込もれる
大和してて美しいな
…と古語を知らない私はいつもこの歌をこのように解釈しています。奈良市、天理市、桜井市、橿原市、明日香村…奈良は本当にこんな感じに余裕綽々で、この歌を詠んだとされるヤマトタケルノミコトは景行天皇の皇子、仲哀天皇の父です。
大和三山は畝傍<ウネビ>山、香久山、三輪山。
この三山は小山に過ぎませんけど山自体が御神体とされ、立ち入り出来なかった覚えがあります。
最古の神社は桜井市の大神<オオミワ>神社で三鳥居でしたか…、又、三輪山が御神体です。
大化の改新以来、明日香村は汚<ケガ>れてしまったというのが蘇我氏の言い分として有るようだけと、奈良では未だに奈良全体の祖、重鎮は蘇我という勘違いが有り?中臣(藤原)は成り上がり扱いされているように私は思います。私も蘇我氏や物部氏などの古代氏族と聞くと血が騒ぐと言うか、百済最高、漢字最高とウキウキ楽しくなっちゃいます。しかし吉野だったか山に囲まれた炎天下の田畑で古寺の場所を聞いて「すぐ着くよ。」と言われて行ってみたら一山越えていた事があったんです。時間が掛り過ぎて既に古寺は閉まっていたけど、確かに存在し嘘ではなかったし、私は行くとなったら行かないと気が済まないからこれでいいのだ。古代氏族ごっこも楽しいけど、山上憶良、山部赤人などの歌碑も良い。大伴氏は旅人や家持ですね。
クマクマの気配は無きにしもあらずだったけど、20年前はまだクマクマもどんどん侵略までは知恵が回っていなかったというか、山の辺の道、明日香村と言っても観光地だしアメリカ人は何処にでも出没するしでこれからも迂闊には出て来ないように思うのですが。私は蚊に刺されまくっても奈良歩きが止められず、刺されやすいので虫除けも効かず、やっとこさ腰に下げるタイプの蚊取り線香セットを見つけたのに2010年以降はほとんど奈良へ行かなくなったのでした、それは猫、トラ、馬などの動物愛護活動をはじめたせいだった。
関西に来てからすぐの頃はろくに働きもせず毎日のように奈良、京都へ観光しに行っていました。主に社寺仏閣、天皇陵巡りをしていたので、今回の「飛鳥・藤原の宮都」の世界文化遺産登録は、30代の後半をそれに注ぎ込んで悔いなし、体力、健脚もやはり今とは違っていたはずなので、あの頃それに打ち込めてよかったと二重の嬉しさです。
奈良駅周辺に奈良公園、東大寺、春日大社、興福寺が在り、少し足を伸ばして住宅地の方にもガイドブックによく載っている由緒あるお寺が散在しています。奈良駅最寄りを拝観し尽くしてしまったら、近鉄線やJR桜井線(万葉まほろば線)などに乗って日を変えながら少しずつ見学していくことになると思いますけど、奈良市から離れていくに連れて田舎になり、夕方になると真っ暗で人も見当たらず、歩き回っているのは私だけだったんですよね。その頃携帯もそれ程発達していなくて、人を見つけては最寄り駅の場所を聞き出して、駅の灯りや学生達の姿を見てはホッとしていました。"THERE IS A LIGHT THAT NEVER GOES OUT"というThe Smithsの曲も思い出しました。
天皇陵巡りも今にしてみると相当無謀でした。特に奈良県のは人気<ヒトケ>がなさ過ぎていましたから。大分前に大阪府羽曳野市の応神天皇陵が怖いと書きましたけど、それは大き過ぎて得体が知れなかったからです。羽曳野市には倭建命<ヤマトタケルノミコト>の陵<ミササギ>の一つである白鳥陵が在り、これは記念碑的な陵だと思うのですが、よく考えてみたら応神天皇は仲哀天皇の皇子で倭建命のお孫さんだから近くに造られたのでしょうか。私は応神天皇の方が倭建命のおじいさんくらい古いと思っていました。
一番怖かったのは持統天皇陵です。御主人の天武天皇陵と並んでいたのだけど、明日香村に在るんです。場所も忘れるほど別世界の空気、吹雪、吹雪、氷の世界♪(井上陽水)。霊気が充満していました。自分が産んだ皇子を天皇にするために他の皇子を亡き者にするなどし恨まれているのか或いは尚も支配し続けようとしているのか。
明日香村へは近鉄橿原神宮前駅からかめバスに乗って行っていました。時代性なのか哀しくも行きも帰りも私一人ということが多かったけど、特に帰りは絶対に来てくれないとヤバかったのを必ず来てくれて安堵していました。明日香村を隈無く見て回るのに15回位かかりました。言ってみれば田園地帯なので電灯が少なく、夕方になる度に景色が均一に見えて、何度も来ているのに最寄りのバス停が分からなくなったりもしました。それでもその怖さの中に何か心躍らせるような秘密が隠されているように思えてなりませんでした。そう、真のロマンは怖いものなのですよ。
でも今回世界遺産登録されるのが「飛鳥・藤原の宮都」だとすれば舞台は山の辺の道や明日香村ですか?だとしたら世界遺産になんてよくなれたと思います。荘厳な建造物やダイナミックな大自然があるわけではない。
在るのは秘密だけ。
古代豪族、渡来系氏族、滅亡した百済の中国系皇族の亡命。
私達の母国語が中国と同じ宇宙一美しい漢字。
みんなで秘密を滅却したに違いない。
秘密を滅却すれば火もまた涼し。
確証のない秘密は想像の域を超えない。
秘密を滅却した者同士が現在もただ隠微に楽しむだけの「飛鳥・藤原の宮都」。❵ (^>λ<^) (^<λ>^)
猫 (^>λ<^) (^<λ>^)
無知の涙
❴読んだことはないけど無知の涙という題名からしても明るくなさそうな本がありますよね。
これを書いた人がしてしまった事とは比にならないけど私はしばしばこの題名を思い起こします。
最近では外国で男の子が顔をコウモリに乗られて狂犬病に罹って亡くなった話を読んで、小学時代の西宮でコウモリを網で掬ったことは無知の涙だったと思いました。ベランダから網を振り回していたら掛かったんだけど、キショくて網を逆さに振り下ろして逃がしたと思います。ほかの記事では、コウモリを無事に飼えていた方がコウモリを清潔にしようとお風呂で洗ったらコウモリが死んでしまったというのが有り、コウモリ等は汚いのが仕事なんだと気付きます。他にも何ゆえか洗ったら死んでしまう小動物が幾つかいるみたいです。
しかしどうして狂犬病はいつまでも、死に至る病なのでしょう。動物に触りたくてたまらない私や子供らはどうすれば心置き無く動物に触れるのでしょう。
子供や若い間は要領を得なかったりまさに無知のせいで片輪になりかけたり悪の道に逸れたり命を失い兼ねないです。
私は彫刻刀や鑽<きり>やカミソリの扱いで無知の涙になりかけたし扇風機のプロペラで指を3本失いかけたり和歌山の白浜の海で台風の日に潜水などは無知の涙に超肉薄でした。
だけど不思議に化学的な無知の涙が無かった。ただ極一時期アルコールランプの火を見つめるのが日課になっていて、火事は起こさなくとも、私は自分で燃料用アルコールを買いに行き独りで火を点けていたんで、西宮のお店の人が間違えないでくれて助かった。お店の方が絶対に間違えてはいけない商品が有るんですね。特に子供が一人で買い物に来た場合は。
後はやっぱり、本当に家庭環境が劣悪で子供の力では何一つ解決出来そうもなく、無知な為に善悪後先の判断が鈍り、他人も自分も不幸にしてしまうのはあるあるですよ。
「この人いいこと何もなかっただろうな。」と諦めるしかないんですか?と紛糾するから当然罰せられるけど、紙一重の人は少なくなくて、どちらかと言うと私は双方に運がなかったと思います。❵ (^>λ<^) (^<λ>^)
W杯2026
❴私はサッカーのルールが未だに分からない為、熱心に観ることが出来ないですが、ゴールした時、選手と味方チームとサポーターが大騒ぎをするのが面白いので、実は沢山放送して欲しいのです。
しかし自国チーム以外はダイジェスト的な放送しか見れずとても不服です。
イタリアチームは三回連続W杯に出ていないそうですが、出ないとやや盛り下がってませんか?
なんとなく頑張りどころが変化し、サッカーじゃねーよと卒業したのでしょうか。❵ (^>λ<^) (^<λ>^)
カメルーン事件
❴私は万博が大好きで、5月2日(土)には、常にイベントを絶やさない、毎度おなじみ太陽の塔、吹田のEXPO1970万博記念公園でまたまた世界のフードを食しに行ったのです。
でも今回EXPO2025のお店は殆ど出店してなくて新たに食べてみる物が殆どでした。そして最初にトライ?したのがカメルーンのヤギ肉のカレーでした。山羊(goat)は羊と違い、珍しいものですよね。で、食べてみようと決心し、屋台で注文したのですが、女性店員の態度が悪かった。先ずチンタラしていたし、お釣りも出そうとしなかったから、(2000円出して)「お釣り、500円!」と言ったら直ぐ出したから、まあいいやと芝生に座って食べ始めたのです。
ヤギ肉って、ケモノ臭いですね。羊のような風味的クセはないんだけど、脂っぽいというか。初めて食べました。万博の料理は高いもんだという認識は付いていましたけど、お肉2個中1個がカットされた正立方体の骨って酷くね?感じ悪かったし諦めようかとも思ったけど、ここは太陽の塔の万博記念公園だよ、1970年だよ、と気持ちを奮い起こして「1個骨だったよ!」と真四角の骨をカメルーンに見せに行きました。
すると同じ女性店員らが、それは申し訳なかった、わざとじゃない、たまにあると、もう一皿に近い量をよそってくれました。そっか、言ってよかった。そうだよね、ここは太陽の塔のEXPO1970万博記念公園だもんね。
他にはブラジルの生ソーセージをしっかり焼いたものとか、ヨルダンのお菓子、フィリピンのジュース、EXPO2025で食べられなかったポルトガルのエッグタルトとかしか買わなかったですけど、DJが簡単なブースから往年のディスコミュージックを掛けていて、周りで何人か踊り始めているのを見て、平和っていいなと久々に思いました。
世界の何処かで戦争が続いていたとしても、私達の過去にも戦争があり沢山の人が戦争により亡くなり家を失い敗けてしまい戦争が終わり今は平和なのです。
EXPO1970。平和の重みは今よりも重く感じられていたことでしょう。
2026年、私達が憧れる全ての国々が平和でありますように。❵ (^>λ<^) (^<λ>^)
坂本龍一(俳優)
❴坂本龍一氏は東京都中野区生まれだそうですけと、私と中学校や高校の学区が同じで当時周囲のトレンド好きの同級生から凄まじい人気だったです。
中2で兵庫県西宮市から東京へ越した頃にYMOのデビューアルバムやSONYのウォークマンが発売されて、「お利口さん気質」の東京の同級生が歩きながら、YMOのテープを入れたウォークマンのヘッドホンを私の頭に被せたんです。私は「うわぁー!」でもそれがその先の地獄の一季への道案内でした。テクノポリス。カッコいい曲でしたよね。
高校では坂本さんと同じ小学校や中学校を卒業した子達が実際居て自慢していました。高校は全く違うのに。
それに私の母親はこの地域を嫌っていたんでしょうか。むしろ高校も辞めて欲しいと思っていたかも。
だから高校生活は何もかもメチャクチャで、筆一本で3年間を辛うじてやり過ごすとは流石<サスガ>私?ってそーゆー考え方ぜってー出来ねーし。それに高校もはっきり言ってメチャクチャだったです。平家の妄想 私の母親 VS 高校くらいに。
うちの母親は大阪市城東区で生まれたので私はてっきり大阪市内の人だと思っていたんだけど、堺市に住んでいたらしいです。それを知ったのもつい最近で、堺と言えば巨大な仁徳天皇陵が在り、信長に鉄砲を供給していた所でも有名ですが、母方の祖母は若死にした私の実の祖父(毅さん)の弟(邦衛さん)と再婚し、47歳の若さで急死。そしてその後邦衛さんは喜代子さんと言う後妻を娶り、堺に住んでいたので、堺のおじいちゃんと呼ばれていました。だけど母親が堺で育ったとは一度も聞いたことがなかったのです。
母方の祖母は私が新潟県長岡市に居た2歳の時に亡くなったそうで、私は2歳なので何も知らずに過ごしていたのですが、その頃に母親の心は死んでしまったんじゃないかと。だから信濃川堤防で毎年催されるこの国随一の打ち上げ花火大会の翌日でさえ余韻が残っていなかったのではないか。うちの家に感慨にふける余裕が無かったのは私を含めた複合汚染(有吉佐和子著 読んだことはありません。)? 祖父が早世し祖母も母親が20代の頃に亡くなり、そして政敵とあらば身内も消すような籐氏顔の祖母は何故か私を溺愛していたらしいのです。それは母親の兄弟2人からも聞いた話です。だから私は私の弟や妹と扱いが違っていたのです。他の二人のことを祖母は知らないからでしょう。又、母に平家の妄想が有るのは祖父が倉敷市の平家縁の地の出身だからです。
しかし平家の妄想は平家の妄想に過ぎず、私にはヤングケアラー的な苦労が多少あったかも。それを知ってか知らずか今思うと東京の「お利口さん気質」の子達は私をそこそこよくフォローしてくれていたと思います。数万もするビートルズボックスを貸してくれたりパブリック・イメージ・リミテッドのチケットを買ってくれたりいい迷惑ですよ?
その間も母親は、友達も高校もそれくらいして当たり前、うちは平家なんだからとしか思っていなかったんじゃないかな。ホント、無知の涙の人達の気持ち分かる。
でもお陰様で私も母親も坂本龍一が嫌いじゃないです。
私はあの人は顔、映画によく出ていたので俳優だと思います。あの人がただのピアノが上手い作曲家だったらYMOもあれ程売れてないです。又、坂本龍一不在は知らず知らずこの国の大きな損失となっています。❵ (^>λ<^) (^<λ>^)
香純裕子(漫画家)
❴私には根気がなく辞書や漫画の活字を追うのが精一杯だから、活字離れ防止にせめて毎月一冊は少女漫画を読むようにしています。その中で香純裕子さんの絵が上手いと思うのです。端正でクセがなく隅から隅まで丁寧に描いてあり、この描き方、しんどくないのかなと心配ですが上手い。無理なく続けて欲しいです。❵ (^>λ<^) (^<λ>^)
身の程 (^>λ<^) (^<λ>^)
痛手 (^>λ<^) (^<λ>^)
やってしまった事は二度と消せない☆
I Prefer Intelligent People To Innocent People.
Mi Piacciono Più Le Persone Intelligenti Che Quelle Ingenue.