murasaki-amejisuto’s blog

PUNK NEWWAVE NEWROMANTICS 紫雨慈IST

Sabato 15 Gennaio

f:id:flowers-in-the-dustbin:20220115202000j:plainf:id:flowers-in-the-dustbin:20220115194817j:plain
f:id:flowers-in-the-dustbin:20220115194904j:plain
f:id:flowers-in-the-dustbin:20220115194840j:plain

🐎馬の写真はオジュウチョウサン(競走馬)です。なかなかのイケメンですね。



延暦寺の不滅の法燈 ❰比叡山延暦寺天台宗の総本山で、意味や字面がとても好く、宗祖の「最澄」も同様であると社会で初めて習った時からセンスを認めていた。
いかにも信長が好んで攻め入る処<トコロ>ですね。
比叡山の山法師は自分の思うままにならないと白河法皇が憂慮していたのも無視ですね。
何故比叡山の僧侶は猛者<モサ>なのでしょう。白河さんも持ち上げたらダメだったんですよ。
二回位、比叡山坂本というところで降りてケーブルで延暦寺に行った時、目付きの悪い坊主がウヨウヨ居たのは岐阜に縁の有る私に対してなのか観光サービスなのか、おかしいでしょう。
延暦寺に根本中堂という場所が在るのは意外と知られています。延暦寺=根本中堂です。
そこに、天台宗の祖、最澄が燈して以来一度も絶やした事がないとされる「不滅の法燈」が置いてあります。
「不滅の法燈」というのも強気でカッコいい言い回しですよね。
撮影禁止って書いてあったけど、携帯にカメラが付いているからまぁ撮りませんか?初期の頃の携帯のカメラって今思うと画像がかなり荒かったのに、私は喜んで何でも写していました。そこでも坊主がウヨウヨしていて背後がヤバかった。でも結局、カメラ単品で写したものではないので、それ以外のものも殆どが亡きものになりました。当時はSDカードとの同期も不備で、やっぱり坊主の言うことは聞くものですね。そして写真はカメラで撮りたいものです。インスタントカメラではかなり観光地は写しましたけど。インスタントカメラはきちんと現像せざるを得ないから案外いいと思います。又、無理だけど、長い細い棒で不滅の法燈から火を取り、その灯<トモシビ>をアルコールランプか何かで持ち帰れたとしても、不滅の法燈のように灯を絶やさずに置くことも不可能ですよね普通は。
不滅の法燈。この言葉を見た時、不覚にも過去のうちの家族を思い出しました。
幸せな方々というのは、家庭をずっとそう思える方々なのではないかと思います。
働く年令に満たない児童の場合、家庭と学校が頼りです。そういう意味からは私は学校の方が好きでした。
先生も友達も親身になってくれたと思えます。それはその時には余り気付かないというか、勿論嫌いな生徒はいましたけど、岐阜や西宮で先生方に気遣われると、東京でも先生方が気遣うというカラクリは天下布武では。すると生徒もあの人ヤバって少しは思うのでしょうか。
それでも極々子供の頃は、家庭でしか為し得ない事が幾つか有ったと思います。それは公園で凧揚げとか、貧乏臭い家の前で花火とか、新幹線で騒ぐとかですね。子供だけでやると、神戸辺りに居そうなおっさんやおばはんに、「此処はそういう事をするところやない。」と言われかねません。それが親が居ると揚げ過ぎて凧が凧糸が付いたまま電線に引っ掛かっても「もう帰ろうか。」で済みますしね。火事の場合はそれじゃ済まないので、体裁だけでも水を張ったバケツを置いて花火で遊べば良いわけですし。
しかし現実には「不滅の法燈」であった筈の家族は、「思えばあれが最後だったのだ。」という記憶が殆どとなります。
私はこの悟りがとても好きです。
想い出を滅却すれば火もまた涼しです。
何も臆することなく過ごした出来事の一つ一つに最後の日があるのです。
ただ何故だか切ない方の想い出には未練が残るんですよね。
うちの家は後年一人一人仲が悪くて邦衛さん(2021年9月1日の記事参照)が死んでからは麻雀ひとつ出来ませんでした。
家族が5人揃ったのも20年以上前で、どういうわけか場所は大阪天満宮でした。
先祖の雪辱を果たさんが為に、「私はママねえさん」(十勝沖大地震で両親を失った4人の姉弟が周囲に助けられながら生き抜く物語)、「てんとう虫の歌」(両親を失った7人兄弟が力を合わせて生き抜く物語。これの原作は福引で当てた北海道旅行を両親にプレゼントしたが行きの飛行機が墜落というむしろ陰惨さはPUNK以上だった70年代らしい設定だったらしいですが、さすがテレビ。アニメでは過労死ということにしたそうです。)張りに、両親は居たけど3人の兄弟は毎日フル稼働でしたわ。
いつの間にか弟と妹は勉強係のような役割に近くなって、勉強は出来たみたいだけど理系ではないし。
この二人に私から寄ることはないです。両親にも。もうずっとそうです。本当に無理な人って、向こうが思っている以上にこちらは存在すら薄れていて、この人誰かな。
家族一丸となって敵<カタキ>を打つ、うちの場合は必勝必殺の精神で突進して来たつもりだったけど、あざとかったと思います。一緒に暮らす家族間でも憎しみ合って迄結果を出す必要が有ったのかと。
だから結果もマイナス要素を含む訳ですし。
学歴ではない場合がありますよね。選択肢として。あざとくない「不滅の法燈」の家に育った人は、人が羨むような職に就いたり結婚に恵まれることがあります。
父方の方が勉強はマシな子が多かったみたいだけど、個人的にはちっちゃかったあの子らが私は好きだっただけで、成果は別にどうでもいいんですよ。父方の祖母も祖父もちょっとバタ臭かったし、それが瀬戸内海に住んで特異に見えたし、船を降りてからは魚を釣ったり田んぼを耕していたとか、自給自足?なんとかうちの父親だけを東京の大学に通わせたお金の工面は船員時代の貯金の切り崩しなのか、詳細を尋ねるのも会話に繋がるのでもう嫌なんですよ。ですが士官学校が胴体真っ二つ(2021年9月1日の記事参照)…というのはやっぱり雪辱を果たさなければならなかったかも知れません。久志さん(2021年9月1日記事参照)は麗人でしたし。
ところでマグリットの「大家族」という絵も、家族は不滅の法燈という意味合いですね。あの絵は色数が少なくてシンボリックですけど、小学校の美術の教科書に載っていたせいもあるのか高潔に見えます。こちらは宇都宮美術館に在るらしいです。❱(Ф¢)


猫(Ф¢)



下町で失敗 ❰京都駅の周辺は、八条とか九条という交通標識が目立つので、そういう処なのでしょう。
京都、大分行ったのでもう何処も飽き飽きですけど、京都駅の近くのイオンフードコートとかで食べるのは暗くて好いです。
丸亀製麺って繁忙時、温も冷もぬるく感じる時がありますがうどんは好きなのでイオンに行くとたまに利用します。
そしてかなり前になるけど月見うどん(冷)と天ぷら一つを頼んだ時に、男性店員が月見うどんを「混ぜましょうか?」と聞くんです。私は初耳で、そんなの普通かなと迷いましたが混ぜてもらったのです。そしたら九条ネギもそんなに乗せていないし少しだけ細かい卵の泡立ちが有る黄土色のうどんになったのです。
「うわっ気持ち悪いことしてくれたわ。」と後悔の色を隠せなかったかも。でも下町の方は純情な方が多そうなので、本来隠さなければなりません。
確かに男の人が混ぜたのでよく混ざって味は美味しかったのですけど、私は卵が好きで汁<ツユ>まで飲み干さなければならなかった。
でもまた混ぜてもらうかも。❱(Ф¢)



任天堂(Nintendo ) ❰その京都駅近辺の下町っぽい感じの処には、任天堂の本社も在ります。
任天堂は、岐阜での小学校低学年の頃から知っていました。滑りの良いプラスティックトランプの箱に、必ず任天堂と書いてあったからです。
昔は学校や新幹線や観光バスでトランプ遊びをする機会が多々ありました。今の人はトランプの遊び方を知っているのでしょうか。雑誌の付録がトランプという事も余り無さそうですし。
トランプの任天堂ファミコンに着目、着手したきっかけは何なのか分かりませんが、玩具、娯楽の分野を変えず有名になったのが嬉しい。
携帯型ゲーム機据え置き型ゲーム機
宇宙のファンタジー。❱(Ф¢)



さやえんどうスナック(各社)(Ф¢)



覆水盆に返らず(Ф¢)



横流し(Ф¢)



落とし前(Ф¢)



悪魔の手毬唄(字面)(Ф¢)



hideは崎陽軒のシュウマイが懐かしかろう☆



We Want To Live Positively, Don't We?



Vorremmo Vivere Positivamente, Vero?