🐎グランアレグリア(競走馬)、マイルチャンピオンシップ2021(G1)1着、おめでとうございます。
引退が決まっている馬が、有終の美を飾ることがありますよね。でも私は全頭が最後まで無事に走り終えた結果で良いです。
又、ダノンザキッド(競走馬)が3着入りしたのは嬉しかった。
次のジャパンカップも大馬神再集結で怖いし京都大賞典の1着~3着が駆り出されているのはしんどいでしゅ。
🐎コントレイル(競走馬)くん、ジャパンカップ2021(G1)1着、おめでとうございます。
グランアレグリア(競走馬)に続いて、コントレイルくんも有終の美を飾ったら、やっぱりいいぞとは思ったけど、私は常に、馬にそんな期待や負荷を掛けたくないのです。そしたらキセキ(競走馬)は去年とおんなじ事をやりよった。じゃなくて、コントレイルが親のように、ディープインパクトのように、美しく、有終の美を飾って、もうイケメンの立つ瀬消滅。
キセキは可愛いですね。
岐阜のニートなヒッピー女❰城下町の人々は、将軍ネットワークの恩恵に預かり、比較的常識的に過ごせるような特権が有るように思います。それは秩序があるからでしょう。
でもそれを東京の一部分が綺麗事に使おうとしているのは、大阪や岐阜とは熟<コナ>れ感が違いますね。
「この辺りでは昔はお財布を落としても戻って来ていた。」と言われても、それはお目付け役とかがいた頃の話でしょ。そんな話をしてる方が笑われます。そういう所のスーパーにリサイクルのペットボトルが収集屋のように山積しているのを見て、「自分で始末したくないからってここに持って来んな。」って言ったら、「なに言ってるのよ。これで洋服が作れるのよ。」そんな粗末な服を正しいと思ってるんなら大間違いだよ。
ともかく普通には城下町は自給自足の町とは違った良さが有ると思います。
でも、織田信長は別格として、城主が失脚していたり、逆に悪名高かったりすると、町民の熟れ感が酷<ヒド>い。
注意されても「何でいけないんですか?」これには久し振りにウケました。
岐阜はJR岐阜駅を降り立った途端、ヤバイことが起きて収拾が付かないという焦燥が未だにあります。
だけど私は岐阜が好きです。
2021/10/15の記事にも登場するニートな10代ヒッピー女ですが、私はこの人が積極的に動いたのを私が小1と小2の2年間で、2回しか見たことがありません。
学校から帰ってくると私の家に隣接する隣の家の壁に、髪の長いアンニュイなでかい女がベルボトムジーンズを穿いて立っていたんです。ヒッピー女は毎日家の前に居たのです。私が住んでいた家と隣の家の前に懸けて、小さな稲荷神社の鳥居が今でも在るのですが、幻想的で、ヒッピー女は私の中では精霊のようなもんでした。
しかし大人である私の母親は、「隣の女の子は妹と大分年が離れていて全然似ていない。」「あの家にはお父さんがいなくてお母さんが夜着物を着て働きに行っているみたい。」「あのお姉さんは高校に行ってないんだよね。」という話を時折私にしていたんです。
私は随分あのヒッピー女のことを母親は気にしているんだなと思いました。
一度、名前を訊いてみたみたいなことも言っていたけど、高校のこともアホだから訊いたかも知れない。私はヒッピー女が話をするとも思っていませんでしたが、母親が私の妹にヒッピー女と同じヨウコと発音する名前を付けたのは、隣のお姉さんのヨウコという名前がいいなと思ったからだと言っていました。
そうか、ヒッピー女は私の母親に好かれているんだ。大したもんで嬉しく思いました。
でもそれが私をその後、特に中学、高校で、0点でも平気な人にしていくんです。ヒッピーファッションのニートな女は私のような子供に逃げ道を作り、ダメ人間にしてしまいます。
更にその女を人嫌いの母親がバックアップしていたのですから。
或る日こましゃくれたヒッピー女の妹が、「ヨウコちゃんが、一緒に雑誌を見ようだって。」と言うのです。あの着映えのする女と3人で。私は喜び勇んで姉妹の家に入り、当時の二大スター雑誌である、平凡と明星に見入ったものです。私は妙に安心仕切って初めて見るスター雑誌のページを夢中で何度もペラペラと捲っていました。当時のスターって、尋常じゃなかったですからね。或いは私は東京生まれなので、東京か、懐かしいのうと浮かれていたのか。それらを普通より美しい姉妹と岐阜の澄みきった山間<ヤマアイ>で一緒に見て、空気が透徹したのです。ヒッピー女は小2の私が余りにも喜んで見ているので、10代ニートの立場としてマズいと思ったか、20分位したらお開きとなりました。それが2年間で2回しか動かなかったヒッピー女のアクションのうちの1回です。
2回めは、私が戦国時代の町から這這<ホウホウ>の体<テイ>で脱出出来ると決まった小3に上がる前の春。私はいつものように鳥居を潜<クグ>って家に入ろうとしたところ、ヒッピー女がいつもの壁から離れて鳥居の柱を回り込みながら私を威嚇し始めた。「怖っ。やはり動いたらこうなるか。終<ツイ>に本性を現したな。」その時も長い髪とヒッピーファッションの袖と裾の広がりに気を取られ、そのまま「ふーん、頑張ってね。」と家に入りました。
岐阜、金華山稲葉城、斎藤道三、織田信長の棲家<スミカ>、慈愛と損得勘定に満ちたいい話でした。❱(=α。α=)
猫(=α。α=)
exclusive(=α。α=)
executive(=α。α=)
散財(=α。α=)
達成感(=α。α=)
心像(=α。α=)
札幌「カリーハウスコロンボ」北海道野菜を味わうカレー<ポーク>(ハウス食品)❰これは2021/10/15の記事にある鎌倉の珊瑚礁カレーよりも塩カレーで、スープに甘さがなくて美味しかったです。色が違うけど、NISSINカレーヌードルもそうです。
ポークっていうのも良いです。豚肉って牛肉とはまた違った美味しさが有りますよね。
豚カツ、ソースカツ丼、豚肉の甘辛丼、お好み焼きや焼きそばの豚肉、ラーメンやチャーハンの焼き豚、粗びきウインナー、酢豚、しゃぶしゃぶ風の食べ方等です。
カレーも上手く作ると美味しいんですね。
子供の頃、母親の料理道が初期の頃は、今みたいに種類が豊富じゃない市販のカレー粉で、しかも豚肉の小間切れとか崩れ掛けたジャガイモが入って別にって感じでした。いつの頃からかカレー専門店のようにスパイスも揃えていますが、具とカレーの色が合っていないように思うことはあります。
このハウス食品の札幌コロンボのレトルトカレーは黄色味が有り、後味が甘くなくてとても美味しいのが引き立つようでした。
自分好みのシーフードカレーのような塩カレーも、色が茶色っぽいと似合わないように思うのですがあの黄色っぽさって、ターメリックでしたっけ。
インドのカレーとか、タイのカレーとか、本場にもいろんな色のカレーが在りますけど、肝心は私の場合は後味です。❱(=α。α=)
イシイのチキンハンバーグ(石井食品)❰岐阜は只の寂れた町ではなく、粋や色香のある町、僻地ではなく、辺鄙な処で、城下町の純情で一途な住民が、ずっと織田信長を待っているので私も、ずっと岐阜を忘れないでいようと思うのです。
その岐阜ではまだ食べたことがなかったのですが、西宮で、私はイシイのレトルトのチキンハンバーグを食べるのがかなり好きでした。うちは電子レンジを持つのが遅かったので、湯煎して夏でも冬でもペタンとお皿に空けて束の間の幸福感を覚えたものでした。ソースがデミグラっぽくて美味しかったんですよね。子供の頃なんでお皿を斜めにして犬みたいに舐めていました。今でもスーパーで全国展開です。
甲子園球場からJR甲子園口商店街に入る前迄の甲子園筋って当時本当に、フラフラ歩いている貧乏臭い人はうちの家くらいだったんです。その間に一件しかないスーパーに毎回イシイのチキンハンバーグは売っていので、こっそり食べている人はうち以外にも居たのでしょう。でも人口密度が低いのか高級車でしか移動しないのか滅多に歩いている人とすれ違いませんでした。
岐阜でも西宮でもイシイのレトルトハンバーグみたいなもんを犬がオシッコしまくるような電柱の下に落としてそれを悪びれずに拾うのを誰かに見られる人を一度も見たことが無かったです。
私は西宮が大好きだったこともあり、東京ではもうこの先の人生諦めた要らんしってぐらい失望し、状況を大嫌いな母親に話した程です。すると母親は「哀愁の有る話やねぇ。」と言っていたけど、そういうのでもないんです。第一、西宮で電信柱の下に食べ物を落として拾って帰る人なんて居なかったじゃん。それは西宮の乾いた舗道に誤って食べ物を落として拾って食べるのとは違うんだよ。何年か前、韓国のニュースで、ペットショップに「この仔犬は自分の糞を食べるから返品したい。」って言って断られて投げつけて殺した人が居たけどそれに近い。私は動物を殺さないけど。そういう事が万事において見受けられて、東京での楽しみは、子供の頃に見たテレビの中の東京らしさだけでした。それは初め主に風景でした。
それと前述の岐阜のニートなヒッピー女のせいで開き直り、記憶喪失も有って、高校も行っても行かなくても今と昔とは自分が違う、拠って自分の思うように成る為にする事は勉強じゃない、気色悪い図画工作である筈がない、自分と同じか下がいる限り何もしなくても私は平気。
高校時代に、西宮の社会の教科書で見た東京の当時夢の島と呼ばれていた場所の近くに、かなり美々しい子達が暮らしていることに気付いたのです。そしてその近辺の区にも。
この、テレビの上を行っているのが東京。
でも私は私。是非もない。ただ、美しいことを認めざる得なかっただけ。
かんばせもクセの無い標準語も。❱(=α。α=)
正当防衛☆
Secretary Of State Henry Kissinger Is Still Alive.
Segretario Di Stato Henry Kissinger E Ancora Vivente.