思い出を滅却すれば火も亦た涼しPart2(2017/8/1の6番目の続きですが、正しくは「心頭を滅却すれば火も亦た涼し」という中国の故事。
思い出を滅却すると涼しいです。でも元は思い出すに価する記憶だった筈です。
主に私が想い出としていた事は、無作為な自然の深緑色や、高く降り積もった白い雪、内海のありふれた海面のきらめきの中にありました。
それだけに、一緒に居た人達のその後の変貌に、「あの美しい風景も、あの人達には勝てなかったか。」と、落胆してしまうのです。
更には、芸術至上主義者達が、「自然が芸術を模倣する。」とか、「芸術のための芸術」という言葉を使いましたが、現実はオスカー・ワイルドらのようには上手くいかないと諦めさせられます。
音楽が好きな人でも視力を選択するでしょうに実際に、如何なる歴史的建造物の中に居ても見応えはなかったか、何も見ていなかったのです。冷たい瓶入りのファンタやコーラ、甲子園名物のかち割り氷の一時の清涼感も、田舎で買ったビーチバッグもビーチサンダルも、一層涼しく滅却される。
私にとって想い出を滅却するのは多角的に涼しいです。)(ёaё)
猫(ёaё)
狸(ってポメラニアンじゃないですよね。大分神秘的ですしね。)(ёaё)
ポメラニアン(って狸じゃないですよね。)(ёaё)
この世界の悲しみが(これはBuck-TickのTABOOという歌の歌詞で、この部分の歌詞もメロディーも綺麗めです。
私が世界の悲しみを思うのは、主に、不公平についてです。
裕福や都会に非ずしても、目の前の幸せに肯定的で楽しく暮らしているのに、経済や治安が整わず長続きさせるのが難しい。或いはいつでも快適なショッピングモールや設備の整った病院を利用出来るけど、それもピンきり。などです。)(ёaё)
管轄(ёaё)
明暗(ёaё)
造反(ёaё)
ミイラ取りがミイラになる(ёaё)
「かわいくニャいのかニャ?」動物を大事にしよう。 ☆(ёaё)
I Think That The Animal Thinks That I Am Pretty For The Human Being.
Penso Che L'animale Pensi che Io Sono Carino Per L'uomo.